悪意のないことばに刺されたとき
悪意なく「大きいね!」「小さいね!」「変わってるね!変だね!」
外見のこと、好きなこと、言われていませんか。
①多様性を認めている人と、②ステレオタイプからくる外見や内面の評価の違い、
分かる人には分かると思います。
けなされたわけではないのに、なんだか寂しい気持ちになります。
人によっては深く傷ついたりする、一方であっけらかんと受け止めて気にしない人もいます。
今回は、なんだか寂しい気持ちになっちゃう私みたいな人によりそってみます。
発達心理学では基礎中の基礎ですが「人間は成長するに従って自分を客観的に認知できるようになっていく」という定説があります。
平たくいえば、大人になると自分がどう見られているか分かるようになる、客観視できるってことですね。
専門的には「自己理解と他者理解が,年齢とともに相互に影響しあうようになっていく(2011.柴田)」というようです。
このうち自己理解というのが、客観的に自分を見られることにあたりますね。
(他社理解に関しては後述)
もうこの事実を拡大していけば、心に平穏がきませんか。
なんでも言っちゃう人、心がこどもにとても近いと考えられます。
さらに言うと、こんな人は自分が客観的に見てどんなこと言っているのか分かっていない可能性が高いです。言い換えれば精神的に、自己理解の分野で発達進まなかった、あるいは伸ばす必要がなかった人なんでしょうね。
とはいえ素直に思ったことバンバン言う人、批判するつもりはないですが、
①多様性を認めている人はともかく
②ステレオタイプにハマっている人は、さきほどの他者理解の分野でも発達が進まなかったのでしょう。
他者理解の発達のさせ方については深く触れませんが、
簡単には他の方がどんな気持ちか理解することと捉えて構わないと思います。
こちらの発達も、人の心の成長に大きく関係があるということは、
やはり自己理解の部分と同様ですが、
人の気持ちが考えられないひとは子供にとても近い
このように考えられると思います。
極端な話は自分の多様性を認めてもらえなかったとき、
相手は心がこどもなんだ
と思うと優越感ではなく、同情であったり、保護の念が高まるのではないでしょうかね。
個人的な話をすると、私はこの他社理解の分野があまり得意ではないので、
自分の結論に対して自信がもてないですが答えが自分なりに見いだせずに苦しく思っている人の一つのヒントになればと思います。
悪意のないことばにもう寂しく思わなくていいのであれば、相手に共感してあげることで、
次の気持ちにむかっていけるかな~ってね