壁の落書きをなくす方法
シャッターアートというやつが行われているそうですね。 でも、この言葉すごく残念に思えてしまいます。
中野・白鷺の商店街にシャッターアート-落書き一蹴、地域活性化につながる一歩 - 中野経済新聞
現代のなんでもアートとつければアートになる風潮はマルセル・デュシャン(1887-1968)の「泉」に大きく影響を受けているように思えて、腑に落ちない気がすごくする。あちらは作者の意図があるというのに・・
なんて語ると長くなりそうなので、そんなのは置いておいて。 シャッターアートを成功させるのはかなり難しいと思っていますよ。 理由は続きから。
シャッターアートの難しい理由は、僕の勤務先の近くにも歩道アートがあったからです。 専門学生による長い製作期間の後の歩道アートで、一時期は話題になり撮影をしにくるひとも多かったけど、1年もするとアートの上から落書きをされていました。
ストリートアートの評価をアーティストの「JR」というひとが映像作品のなかに、ストリートアート*1の評価が高まるのは
- 制作が難しい現場でいかに大きな絵かサインを残せるか
という点を示していました。もしくは、量を制作するというのもあった。*2
これの価値基準から考えると町内会が対策をすればするほど、現場にストリートアートを施すのは難しくなる一方で、そこに作品を残せるとスターになれるという機運が高まる。
こんないたちごっこの状態をどうやって打破すればいいのか。町内会の方には申し訳ないけど、シャッターアートを描きつづけることがヒントになるんじゃないかなと思います。
ストリートアートは瞬間芸である一方、そこにサインが残っていることで勢力を示す目的もあるから、このサインや作品がどんどん消される現場だと描く気力がなくなると思うんだ。
そして、毒には毒を。じゃないけど、シャッターアートに使う塗料はなるべく安いものを使う方がいい。 そんでもって彼らとおなじものを使うことで、公害に対する対策というスタンスではなく、アートとわざわざ呼ばずにただの外壁塗装にしてやればいい。
わざわざアートとかいうから、相手も芸術的な価値を求めると思う。その価値をする必要もないキャンバスにしてあげれば、悪いもいいもなくなるんじゃないかな。 なんなら僕が書きますよ。
ほかにどうすればいいか。シャッター街は少なくないと思っています。ちょっと頭を働かせる練習になりますな。